「jazz」 henri matisse

「Jazz」Henri Matisse
(ガッシュでステンシルした版画作品20枚から構成される挿絵本/1947年)

油絵学科 院1年 亀山 恵



 マティスは、ボナールと並んで、自身の制作において非常に強く影響を受けた作家である。
今回、私が取り上げるのは、アンリ・マティスの「jazz」という作品だ。
紹介するにはあまりにも有名な作家ではあるが、晩年に制作された、この「jazz」という作品は、彼にとってモニュメント的な作品であり、自伝的な性格も強く含んでいる。
この作品をピックアップして、改めてみてみると、この天才もまた、制作や人生の苦悩を抱えながら生きた一人の人間であったことがわかる。そして、生涯自分の芸術を追求しつづけた一人の芸術家であったことが伺えて、素直に私自身も、勇気づけらる思いがする。
 
 また、「jazz」に寄せられた彼自身の詩のような文章も、彼の作品に流れる精神をとてもよく表していて、特に私は、「le bouquet」(花束)という文章が、みずみずしく、好きだったので、さいごにのせておこうと思う。



jazz



第二次世界大戦中の1943年、73歳を迎えようとしていた画家アンリ・マティスは美術雑誌「ヴェルヴ」を出版していたテリアードから、色刷りの版画作品による挿絵本の制作依頼を受けた。
出版部数が少なかったにもかかわらず、作品が持つ即興的な性質による臨場感やのびやかさは、戦争から復興する時代の空気にあっていたのか、戦後のパリだけでなく、熱狂的に受け入れられた。
 「jazz」は、すでに1943年に始められていた一連の「切り紙絵」を原型にして、型紙がつくられ、それを版にしてステンシル技法で刷られた20枚の色刷図版からなる、挿絵本である。図版の多くは、サーカス、伝説や神話の世界、戦争、彼の人生や旅の記憶のイメージから引き出されている。また、絵の具は彼が切り紙絵の時に使用するガッシュがつかわれた。

 「jazz」の制作以前に、マティスは、ボード・レールやマラルメなど多種多様な作家の作品に挿絵をしてきた。彼は「本の芸術」の領域でもその才能をみせていく。マティスにとって、挿絵は一連のテクストの意味を繰り返すことはまったく論外であり、むしろそこに潜在する何らかの意味をあらわにするような造形的な移し替えをテキストに提供することが、重要のようだ。
 彼は「書物は模倣的な挿絵で補完される必要のないもののはずである。画家と書き手は共に、自らの役目を混同すること無く、並行して効果を与えなければならない。デッサンは詩の造形的な等価物でなければならない。絵と言葉の関係は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの関係ではなく、協奏曲における対等なふたつのパートなのだというべきだろう。」という言葉を残している。
 彼は、読みやすさと見やすさという二元性を完全にコントロールするために、紙や、活字の選択、レイアウトなど全体にわたって目をとおし、線の肥痩と色彩の配分を計算し、とりわけ余白の効果を証明してみせている。
「jazz」では、彼自身の手書き文字の大きさや大胆な筆致が独立した視覚的な要素を構成し、切り紙絵と隣りあっていても、充分にそのグラフィックな特徴を保っているといえるだろう。

 1939年に宣戦が布告されると、マティスはブラジルに渡ることをもくろむが、ドイツの侵略により、フランスにとどまることを余儀なくされた。何年もつづく第二次世界大戦は彼とその家族を苦しめた。妻、アメリーと娘のマグリットはレジスタンスに参加し、ゲシュタポによって投獄されるなど、マティスの身辺は深刻な問題に満ちていた。それに加えて、数年前から彼は体調をくずし、絵筆を持ち、絵を描くことが次第に困難になっていた。特に1941年の1月から3月にわたっては、腸の大手術を続けて何度もしなければならず、それはほとんど、不治の病であった。
しかし、予想に反して彼は助かり、そのことが、彼に「第2の人生」を授かったという思いにさせた。
 この時以降、マティスは1日の多くの時間をベッドの上で過ごすことになる。しかし、この肉体的な挫折は、彼の芸術表現を新たなステージへとむかわせることとなった。
そして、それは彼の生涯の最後のもっとも輝かしい局面の開始であったと言えるだろう。

 この大病を患う前から彼は体力的にも、あまり長くは立っていられなくなった為に、座るか横になるかして、助手の助けを借りながら、長い時間をデッサンに費やした。それは、線の確かさと柔軟さによって輝くばかりの完成度に達する。まるで白い紙が、線の豊かさ、数、そして互いの距離によって「色合い」を与えられ、その空間が自ら発光するかのようである。
「彼が紙に線を引くと、その紙は白紙であった時よりも一層白くなるといってよかろう」と、彼の友人でもある文筆家のルイ・アラゴンは1942年に指摘している。
 モデルなどモチーフをもとに描いたとしても、それはマティスの言葉を借りれば、「モデルは「跳躍台」であり、それは一つの扉」にすぎないのだ。モデルの意義が常に、アラゴンの言うところの「一目惚れ」であったとしても、一見逆説的だが、モデルは画家をモデルそのものから解放し、主題、例えば、「線の飛躍」を可能にさせる存在であった。
しかし、ここにきても、彼が初期から問題としていた「デッサンと色彩の葛藤」は解決されなかった。その頃、マティスは絵画の可能性に満足していないことを述べていた。素描と色彩は彼にとって、一体化したひとつのものとは思えなくなっていた。
「私の素描と絵画は分離している」と友人でもある画家のピエール・ボナールにむけた手紙のなかで言っている。
 
 やがて、彼の絵画は、極めて平面的で、線描はかろうじて輪郭線がある程度で、構成の単純化と色彩の純化はしだいに激しくなっていき、説明的なものからそれて、空間や対象を喚起する方へと向かっていった。
 そして、大病を経て、彼は絵筆をはさみに持ち替え、以前試したことのある切り紙絵を本格的に用いて制作することにした。極端なまでに手段をそぎ落とした切り紙は、この展開の論理的な頂点だと言える。それまでに彼が制作してきた絵画のすべてはすでに切り紙絵に向けての準備段階であったとも言えるかもしれない。
マティスにとって、素描と絵画の葛藤はここにきてようやく解決されたのだ。

 彼の助手が紙にガッシュで色を塗った後、画家はそこに、あらかじめ下絵をつくることなく、直接切り抜いていく。輪郭と彩色された表面を、同時に決定するのである。彼はこの表現手段によって、ようやく「同一の動作で色彩と素描とをひとつに結びつけること」に達することができた。
 彼はこう述べている。「はさみを使うと、鉛筆や木炭より以上に線の間隔をつかむことができる。」「切り紙によって、色彩の中でデッサンすることが可能となりました。私にとって、単純化が問題だったのです。輪郭を描いて、そこに色彩をおき、両者に互いに修正をほどこしながら作業を進めるかわりに、前者と後者が入れ替わり、私は、直接色彩の中でデッサンします。色彩は移し替えられない分だけいっそう調子が保たれます。この単純化は、2つの表現手段を明確にひとつに融合させることだけを保証します。デッサンと色彩はもはや一つのものでしかなくなるのです。この表現方式を練習目的で用いることを私はけっして勧めません。これは出発点ではなく、到達点なのです。」
 また、この表現手段は素描と色彩の融合を成功させただけでなく、絵画と彫刻を結びつけるものにまでなったといえる。
「はさみで素描する ― 色のなかにじかに切り込むことは彫刻家の直彫りを思い起こさせる」とマティスは「jazz」の中に記している。

 「jazz」というタイトルをつけたのは、テリアードだが、マティスは、切り紙絵の構成が、音楽のジャズの精神に沿っていると同感していることがうかがえる。
ジャズは定められた形式の範囲内で、基礎リズムの上で即興リズムを奏でる自由な特徴を持っている。マティスが自身の作品を、ひとつの定められた形式のなかでの主題の自由な即興とみなしていたことはありうるのではないだろうか。
 ジャズ音楽では、楽曲と演奏のあいだの相反する要素や時間の間をミュージシャンが克服するように、「jazz」もまた、スケッチと油彩画とのあいだの相反する要素や、時間的な間を切り絵がまとめている。
 
「jazz」は、マティスにとってモニュメント的な作品であると言えるだろう。「jazz」は本文のために制作されたものではなく、むしろ、彼の跳躍するイメージによせるためにつくられた。そして、それと同時に、彼自身の芸術に対しての黙想録であり、自伝的な性格をもっている。
 切り紙絵とそれに添えられたマティス自身によるテキストは、ひとつの技法についての自己表明であり、一人の画家の宣言とも言えるものであったのだ。

「jazz」のマティスによる文章から抜粋

Le bouquet.

Dans une promenade au jardin je cueille fleur
après fleur pour les masser
dans le creux de mon bras l'une après l'autre
au hasard de la cueillette

je rentre à la maison avec l'idée de peindre ces fleurs
après en avoir fait un arrangement
à ma façon quelle déception:tout leur charme
est perdu dans cet arrangement
qu'est-il donc arrivé?

L'assemblarge inconscient fait pendant la cueillette
avec le goût qui m'a fait aller
d'une fleur à l'autre est remplacé par un arrangement
volontaire sorti de réminiscences
de bouquets morts depuis longtemps,qui ont laissé
dans mon souvenir leur charme
d'alors dont j'ai chargé ce nouveau bouquet

renoir m'a dit << quand j'ai arrangé un bouquet
pour le peindre, je m'arrête sur le côté
que je n'avais pas prévu >>


花束

庭を散歩しながら、私はつぎからつぎへと
花を摘んでは無造作に集め
腕一杯に抱えていく

これらの花々を描くつもりで家に戻る。 自分なりのやり方で
それらを活けた途端、なんという失望か
花々の魅力は活けることで失われてしまった。
一体どういうことだろう。

つぎつぎに花を集めている最中の無造作な束ね方が、
今はずっと昔に枯れた花束の記憶をもとにした
わざとらしいい活け方にとって代わられている。
かつての花束の魅力が私の心に残り続け、
そのために私は新しい花に負担をかけている。

ルノワールはかつて私にこう言った。「私は
描くためにいったん花束を活けてみて、
思いがけない側を前に選ぶ」


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