Katharina Fritsch ( カタリーナ・フリッチュ)

大学院1年 油絵コース  桂典子

あけましておめでとうございます。

授業内で発表できなかったので、ここでカタリーナ・フリッチュについて述べようと思います。
至らない点も多いので、補足などありましたらよろしくお願いします。

 カタリーナ・フリッチュは1956年にドイツで生まれた作家である。レコードを作品として発表したこともあるが、彫刻もしくはインスタレーションを主として制作しており、日本では、1999年に国立国際美術館での「身体のロゴス −ドイツからの14人の女性アーティストたち」や、2006年の金沢21世紀美術館で開催された「人間は自由なんだから:ゲント現代美術館コレクションより」展などに出品している。
 
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 フリッチュの作品を見るうえで重要なことの一つにスケール感がある。巨大なねずみが輪になって尻尾をからめていたり、小さなマリア像が立っていたり、プードルが集結して大きな円を作っているといった風に、ぱっと見た瞬間にそれが何であるか分かるにも関わらず絶対に何か違うといった違和感があるのはこの非現実的な大きさのためでもあると思われる。スケールだけに限らず、素材や色も影響している。型をつくり、石膏、ポリエステル、アルミなどの材料で鋳造して大量生産するという制作方法。型は自分の手で試行錯誤しながらつくりあげる一方で、そこから流し込み量産するという正反対の行為が共存し、さらに鮮やかな単色で彩られ不可思議なものができあがる。

 作者の言葉で『私はヴィジョンの閃きを見るのです。全く我を忘れている瞬間的閃きです。それから芸術制作に入るのですが、それはある種の再構築のようなものです。どのように隅々にいたるまでの細部を決定してそれを再構築するのか。また、どのように自分の体験を他の人に追体験させるのか。…それが伸び伸びと素直で自然な効果を与えるように、そして、極度に人工的なものを超えたところにごく自然なものが見つかるまで、つまりごく当り前に見えるまで、自分の内なるイメージとぴったり合うように意識して再構築するのです』とある。フリッチュは生きている中で出会った大切な記憶を思い起こさせるものをつくる、しかしそれはものの再現ではなく彼女の内にある形に寄りながら見る人も触れられるものをつくるのだ。

 多くの人が何か「分かる」と感じること、しかしそこに必ずズレが生じていながらも人の中身に触れられるような感覚が沸き起こること。これはフリッチュの言う『具体的な意味でも抽象的意味でも、これ以上はないという限界を見つけること』を見えるものとして形につくり上げたことによるものだと思う。

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